日本明治維新の頃、演劇は改革の重点の一つであった。都市のはずれにある、狼藉者を連想させる「悪所」に建てられていた劇場は、都市の繁華街に移転させられた。また、その頃新しく建設された西洋風の劇場は、明治政府とエリート達の推進の下、近代都市文明のシンボルとなった。台北に現れた台湾最古の劇場は日本人によって建設された、日本人を対象とした施設である。従って、劇場の所在地は、日本の軍人および一般庶民の居住地や生活圏にあった。1908年に高松豊次郎は縦貫鉄道の沿線の8つの主要都市に劇場を建てたが、その場所は台湾人の生活圏に隣接することもあれば、都市改正計画の下に新興の商業繁華街に建てられたこともある。また、劇場の建築構造からみると、これらの劇場は和風と洋風が混在している。劇場の建設場所や建築物の様式選択には、高松豊次郎の植民地を教化するという意図が反映されている。同時に、明治維新の頃に変化した日本人の演劇に対する意識も、近代の台湾都市文化の発展と演劇の在り方に明確な影響を与えた(石婉舜 2012)。
以下は日治時代の七つの主要都市における劇場の分布図である。それぞれの図は職業明細図の上に置いた。その理由は、劇場がその都市のどのような区域に所在しているかと、劇場に隣接する街周辺の様子を示したいと考えたからである。






